「毎日ブログを書く」というのはGTD的ではない
先日の記事にも書きましたが、毎日ブログを書くというのはやめました。
- 「ブログを書く」のは一つの手段である
- 毎日やらなきゃいけないことが増えすぎると、GTDは回らなくなる
- 毎日やらなきゃいけないことは、GTDの高度でいうところの0mタスク
- 毎日やるが負担にならないレベルまで粒度を小さくするのが理想
- 毎日ブログより毎日メモのパターンを増やす
- あらゆるタスクを分解して、日常のメンテナンスに集中する
「ブログを書く」のは一つの手段である
「ブログを書く」というのはあくまで手段の一つであって、「毎日書く」というのを強制してしまうのは、手段のうち今何をすべきか?を思考して選択するステップをすっ飛ばしている気がして、なんだか気持ち悪いなぁと。
毎日やらなきゃいけないことが増えすぎると、GTDは回らなくなる
やることの選択は基本GTDを軸にしている。
そうした時に、やることのうち「これだけは必ず毎日やる」といった類のものは、少ない方が良いと思っている。
そうしないとコンテキストごとに整理したタスクを処理する時間が取れず、どんどんルーチンだけを回すマンになってしまうからだ。
毎日やらなきゃいけないことは、GTDの高度でいうところの0mタスク
もちろん、毎日必ず問答無用でやった方が良いタスクというのは存在する。
歯磨きしかり入浴しかり、そういった0mレベルのタスクは毎日やらなきゃならない。
逆にいうと、毎日必ず実行するタスクはこの0mレベルのタスクにとどめておくべきだ。
それ以外のタスクは、コンテキストに応じて、選択的にこなしていく方が生産性が高くなる。
毎日やるが負担にならないレベルまで粒度を小さくするのが理想
おそらく毎日ブログを書くというのが日常を圧迫してくるのは、その粒度が大きすぎるせいだ。
「ブログを書く」の中には「テーマを決める」「リサーチする」「書く」「推敲する」などさまざまなタスクが含まれる。
それを一日の1タスクの中に詰め込んでしまうと、どうしてもスケジュールが狂った時に融通が効かなくなる。
そういう意味では、5-10分くらいでそこまで頭を使わなくても良いレベルのいくつかのタスクに分解して、それを毎日こなしていけば自然とアウトプットが生み出せるという形に落とし込んでいくのが理想と言えるだろう。
毎日ブログより毎日メモのパターンを増やす
そういう意味ではおそらく、
- 朝起きたらノートにログを取る
- ランチ時には午前の仕事中に気付いた点をツイートする
- 寝る前には今日一日を振り返ってログを取る
- 本を読む時は数十ページごとにメモを残す
みたいな、細かいアウトプットを吐き出すポイントを押さえて日常の中に組み込むことの方が先な気がする。
まずそれらの習慣を増やしたうえで、それらをまとめて書くという行為をパターン化していけば良い。
読んだ本を月次で書くというパターンはもう結構続いているが、これをもっといろんな粒度でパターンを増やして実行すれば、自然とネタに尽きることはなくなるだろうと考えている。
あらゆるタスクを分解して、日常のメンテナンスに集中する
そんな感じで、GTD的には「ブログを書く」ではなく、そこまでにあるタスクを分解してコンテキストに応じて一つずつ処理し、その結果アウトプットがある程度平均的な間隔で出てくるよう生活をメンテナンスしていくことが正しい。
とりあえずはそっちに集中しつつ、その結果というか流れとして引き続きブログは書いていくよという話でした。
アウトプットは習慣化しないと意外とすぐに減っていくので、小さく小さく積み上げていきたいですね。
では。